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たとえばこんな人生も。〜眞崎龍の場合〜
 毎月毎月、きまって月末になると絶叫の聞こえる家がある。
 かなり大きなそれが「騒音公害だ」と問題にならないのは、ひとえにその家の庭がかなり広大で、防音林とも言うべき雑木林が広がっていることが原因である。
「だぁぁぁぁあがらねェェェェ」
 今月もまた絶叫が響き始めた。


 朝一番にシャワーを浴びるのは翔の習慣だった。
 バスルームから出たところが、すぐに兄の部屋から大絶叫といっていいような雄たけびが聞こえる。
 確か、昨夜から徹夜して仕事をしていたはずだが。
「なに叫んでるのさ」
 まだ濡れている髪をタオルで拭きつつ、ひょい、と後ろからパソコンのモニターをのぞきこむ。
 ……さもありなん。
 彼のモニターには、昨夜寝る前に見たときから何も変わっていないワードの編集画面。
「全然進んでな……」
「言うな、皆まで言うなぁァァっ! どうせ俺はヘボ作家だァァァっ」
 俺の人生おしまいだぁっ、と更に絶叫。
 どうでもいいが、今日は二十日、月末の締め切りまではまだ十日ばかりの猶予があるはずだった。
「あと百枚でしょ? 死ぬ気でやれば書けない枚数じゃないじゃない」
「お前は書いたことないからそういうんだぁっ! ラストスパート、一日十枚のペースがどんなに苦しいか知らないんだっ!」
「だから『死ぬ気でやれ』って言ってるでしょ」
「翔! お前兄ちゃんに死ねっつーのか!」
 ――うぉぉぉもう死んでやるぅぅぅ!
 あまりに情けない兄の姿をみて、翔は「ふぅ」と溜息をつく。
「あのねぇ、仮にも職業作家でしょう? 僕の生活もかかってるんだからもっとしっかりしてよ」
 眞崎翔(まさきしょう)、当年十七歳。
 二年ほど前に再会を果たした兄に対して、彼はとことん冷たい。
「兄さんがどうしてもって言うから、養子の話を蹴って施設出てきたのに。生活レベルが下がるなんて、僕嫌だからね」
「冷たい…冷たいぞ翔……」
 キーボードの上に突っ伏して、それでも最後の理性で涙をこぼすのを抑えている――キーボードはの種だから気を使うのは当然――兄、龍はじとーっと恨みのこもった目で弟を見据えた。
「兄ちゃん悲しいぞー。昔はあんなにかわいかったのに、兄ちゃんになついてくれたのにっ! どうしてそんなに冷たいんだぁっ! スランプに苦しむ兄ちゃんを慰めてくれてもいいじゃないかぁ!」
「……わめいてる暇があればさっさと原稿書いて」
「冷たいぃぃぃぃぃぃっ! 翔のイケズぅぅぅぅぅぅ」
 とうとう床に突っ伏して――キーボードに涙がかかるのを防ぐためと思われる――号泣をはじめた兄を、翔は冷たい目で見やった。
 そして、また溜息を一つ。
「今日のノルマは二十枚。書けるまでご飯抜きだからね」
 部屋には号泣が響くのであった。


 眞崎龍(まさきりゅう)、当年二十三歳。
 この春大学を卒業したばかりの彼は、実はそこそこに名の通った小説家であった。
 大学在学中よりプロとしての活動をはじめ、現在では月刊誌に一本連載を抱えている。
 その他、書き下ろしやエッセイの依頼などを含めると、仕事量はかなりになる。
 歴史小説を得意とし、文壇でも注目されている、将来性◎の若手小説家だ。
 目下、十日後に締め切りの迫った雑誌書き下ろし小説と格闘中である。


「なぁ、翔。兄ちゃん腹減ったよぉ」
「だめ。ノルマをクリアするまでお預け」
 じとー、と恨みがましい目でみつめられながら、翔は何事も無かったかのように食事を再開した。
 ちなみに本日の夕食はグラタン。
 ホワイトソースから手作りのそれは、翔の自信作なのだが、机の上にあるのは一人前。
 朝から何も食べていない兄の前で、翔はこれ見よがしに食事を続けていたのだ。
「兄さん、手が止まってる」
 マカロニを口に運びながら、翔がきつくチェックを入れる。
「とっとと書かないと、晩御飯食べ損ねるよ」
 ノルマ二十枚、と言われたからには、なんとしてでも書き上げねば、それまで食事は抜きである。
 さすがに健康面などから、水を飲むことと一日一回のカロリー補給(カロリー○イトである)は許されるが、それ以外ではたとえコーヒーの一杯でも許されない。
 龍は、ノルマをクリアするまで、すきっ腹を抱えてパソコンと格闘することになるのだ。
 無慈悲だといわれようがなんだろうが、翔が「抜き」といったら抜きなのである。
 その辺、弟は兄に対して容赦がない。
「うわぁぁぁぁぁぁ」
 もう意味不明の叫びを上げつつ、がしがしとキーボードを叩く龍。
 仕事に対してはえり好みの激しい――新人にあるまじき行い!――龍ではあるが、極度のブラコンを自認している彼は、どんな理不尽な行為も弟に強いられると嫌とはいえないのだった。
 各出版社の龍の担当たちの間では、「弟を通せば落ちる」とまことしやかに囁かれているとかいないとか。
 最近では、何を勘違いしたやら、龍への依頼を翔に持ち込む担当編集もいる。
 おかげで、すっかり龍の専属マネージャーと化している翔である。
「兄さん、その原稿仕上げたら文庫があったでしょ? あっちは連載をまとめるだけとはいえ、仕事詰まってるんだからね? とっとと書いて」
 深めのグラタン皿をほぼ空にした翔が、さらに追い討ちをかけるように言う。
 龍は、美味しそうにデザートのアップルパイを口に運ぶ弟を恨めしげに見つつ、手だけはキーボードの上をガチャガチャと行き来する。
「書き上げたら俺にも飯食わせてくれるよな?」
「明日休みだからね。夜中でも食べさせてあげるよ。……ホラ、手が止まってる」
 根っからの鬼ではないらしい弟から保証をもらうと、ようやく視線をディスプレイに戻す。
 いろいろ複雑な事情を経て兄弟に戻った今の状態に、龍は満足していた。
 そういうわけでまずは何より仕事を上げるのが先、とばかり、龍は鬼気迫る表情でキーボードを叩きつづけるのだった。


 その日、龍が食事にありつけたのは夜中の二時。
 朝、シャワーを浴びた翔に見咎められて以来、丸々一日何も口にしていないことになる。
「ぷっはー、うまかったぁ」
 驚異的なスピードでグラタンを三皿、デザートに甘さ控えめのアップルパイまで平らげて、龍は満足げだ。
「そう? よかった」
 言葉どおり、龍がノルマをクリアするまで付き合っていた翔が、テーブルの向かいで微笑んでいる。
 この笑顔を見るたび、龍は無理を言っても翔を引き取ってよかったと思うのだ。


 龍十歳、翔四歳のときに、両親は仲良く事故死。
 万年新婚状態の二人だったから、逝くときも一緒で案外幸せだったのではないかと、龍などは思っている。
 ただその後がいけない。
 親戚連中は、遊び盛りの――しかも男の――子供を二人もまとめて引き取る余裕なんかないと言い張り、結局龍は父方の祖父母に、翔は母のいとこ夫婦に引き取られることになった。
 まだ十歳の龍に反論できるはずがなく、かわいい弟の幸せのためと、泣く泣く別れたのが十三年前。
 それ以来、祖父母と母のいとこだった香苗の間にまったく交流がなかったせいで、龍は弟がどこにいるのか、まったく知らないまま育った。
 結局再会したのは翔が十五歳の時。
 十年以上も音信不通だった弟を、一目でそれとわかったのは奇跡としか言い様がない。


「兄さん、何考えてるの?」
 にやにやと口元を緩める龍に、翔が聞く。


 翔と再会してすぐ、弟があまり幸せでない――香苗は翔を引き取った直後に死亡、夫だった男は再婚の邪魔になるからと、翔をさっさと施設に預けて以来行方知れず――事を知った龍は、祖父母も死んで自分ひとりだった家に、弟を引き取ったのだ。
 ところが、翔が当時世話になっていた施設の職員は肉親の出現に喜んだのだが、当の翔本人が嫌がった。
「爺さんたちの遺産もあるし、稼ぎはあるから心配するな」
「俺たち、兄弟だろ? 遠慮なんかしなくていいって」
 おかげで、龍は半年、こんな台詞でもって翔を口説きつづけたのだった。
 今では翔は翔なりに考えがあってのことだと解っているし、なにより今の翔は自分といるのが楽しいと思っているのが解っているので、余り気にはしていない。
 ……さすがに当時は落ち込んだが。
 その分、翔が同居を承知したときの喜びは、何にも換え難かった事もまた事実だ。


「いや、お前がここにいるって、いいなぁって」
「……じじくさ」
 呆れたように言って、テーブルの上の食器を流しに運んでいく。
「おーい、耳が赤いぞ」
 わざと指摘してやると、背中がぴくりと強張った。
「……兄さん、明日のノルマは三十枚ね」
「えーっ、そりゃないだろ?」
「決まり! 書けなきゃご飯抜き!」
「翔―――っ!」
 何だかんだいいつつ、龍も翔も今の暮らしが気に入っていた。


『願わくば、一日でも長く二人でいられますように』
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