異説・赤ずきん
昔むかし、あるところに。
「腹減った…」
万年空腹・狼がいました(面倒なので狼とだけ書くことにします)。
彼は狼にしては気が弱く、獲物に同情してはいつも逃げられてしまうのでした。
「ああああ腹減った……」
狼は一週間、水と植物しか口にしていませんでした。
元々肉食の動物――動物なのにナゼ喋る、と突っ込むとお話が終わってしまうのでやめましょう――ですから、絶食に近い今の状態はさすがに堪えます。
「ちくしょー」
もう動く元気もなく、木の根元にどっかりと腰を下ろしました。
同じ母親から生まれた兄弟たちは、立派に狩りをし、もう親になっているものもいます。
それなのに、狩りの下手なこの狼はプロポーズも受けてもらえず、それ以前に毎日命の危機を脱出するのに精一杯で、結婚なんてやってられませんでした。
「腹減ったぞ、オイ」
つくづく、一週間前に獲物を逃したのが惜しまれます。
「やっぱり狐の言うことなんか聞くんじゃなかった…」
はぁぁぁ、と長い長い溜息を一つつくと、ふるふると首を振りました。
「でもなぁ。『私はあの虎さんの保護下にあるのですよ』とか言われちゃうとなぁ…」
この森の主、虎は獰猛なことで知られています。
それが本当ならばこの狐を食べてしまうわけにはいきません。
狐を前に、思わずためらってしまったのが運の尽き。
はっと気が付くと狐はもうどこにもいませんでした。
ちょっと考えれば『虎の威を借る狐』ということに気付きそうなものですが、そこで気付かないのが彼なのです。
あまりにも狼らしくなくて、泣けてきそうです。
というより、すでに涙目です。
「ああああああ腹減ったぁぁぁぁぁぁぁ」
泣き喚くだけで体力を消耗するので、声は出来るだけ抑えて、本当はのた打ち回りたいのですがそれも我慢です。
「飯ぃぃぃぃぃぃ」
そろそろ本当に限界です。
動けるうちにウサギでもネズミでも捕まえないと、目がぐるんぐるんしそうです。
一度、空腹のあまりぶっ倒れたことがありました。
そのときは、運良く親切な人間が肉を恵んでくれたので――どうやら犬と勘違いしていた様子です――事なきを得ましたが、今度もそうであるとは限りません。
むしろ、そうでない確率のほうがはるかに高いのです。
それはすなわち、死に直結します。
「やばい、やばいぞ……」
すでにぐるぐる回っている頭で必死に考えます。
が、狩りの下手な狼です。
考えた所で良い案など見つかるわけもありません。
「ま、マジで俺死ぬ…」
もう駄目だ、とあきらめかけたそのときです。
下草を踏み分ける微かな足音が、狼の耳に届きました。
「獲物!」
ぴくり、と耳が動きました。
ひくり、と鼻も動きました。
「……ニンゲン、だぁ」
なんてすばらしいことでしょう!
滅多に森に足を踏み入れない『極上』、ニンゲンの気配です。
それも狩りにくるようなむさ苦しい男の足音ではなく、もっと小柄でかわいらしい…そう、少女です、少女に間違いありません!
「ツイてる…まだまだ捨てたもんじゃないな…」
狼はじゅるり、とよだれをたらしました。
なんせ一週間ぶりの獲物です。
しかも極上品です。
「さて、どうやって仕留めようか」
とりあえず、狼はもたれていた木の陰から、そおっと顔を覗かせました。
木の間から、少女が一人こちらへ向かってくるのが見えます。
赤いずきんをかぶった、12、3歳くらいの女の子です(便宜上赤ずきんと呼びましょう)。
「アレならイケそうだ」
狼は赤ずきんにあわせて、森の中を移動します。
狩りが出来ないのは土壇場で獲物に同情してしまうからであって、運動神経や判断力はそう悪くありませんから、この程度のことは朝飯前です。
よくよく見ていると、赤ずきんは何事かを呟いているようです。
「……ったく、何でたまの休みにお使いなんかしなくちゃいけないのよ。しかも森の中、おばあちゃんち。ああヤダヤダ」
かわいらしい外見に反して、ずいぶんすれた口ぶりです。
ですが、おかげで赤ずきんの目的地がわかりました。
森を抜けた所にある一軒屋に違いありません。
たしか、年老いたニンゲンの女が一人で住んでいるはずです。
(先回りして二人とも食っちまえば!)
それはとても魅惑的な考えでした。
「よし、そうと決まればさっそく」
狼は獣道を静かに疾走しました。
……彼は忘れていたのです。
何度も何度も、母狼が繰り返した言葉を。
『いいかい。ニンゲンにかかわるとろくなことがないんだよ。力がないかわりに知恵があるからね』
そして、つい最近聞いた噂話も。
『森の向こうの家には近づくな。あそこに住むニンゲンは年寄りだが、舐めてかかると痛い目を見る。もう狼が何匹も行ったのに帰ってこない』
彼は、すっかり忘れていたのです。
先回りしたものの、おばあさんは留守でした。
「畜生、くいっぱぐれたぜ…」
狼は少し不機嫌になって、ちょうど目に付いたベッドに寝転がりました。
「…ま、いいか。ババアの肉なんて、食ってもまずいだけだしな」
なんというポジティブシンキングでしょう!
彼の頭の中には、すでにやってくるはずの赤ずきんしかないのです!
「さて、気持ちを切り替えた所で…さて、どうやって食うかな」
狼は、部屋の中を物色し始めました。
たんすの中を引っ掻き回しておばあさんのネグリジェと帽子を引っ張り出します。
そして嬉しげにそれを着込むと、ベッドにもぐりこんで頭まですっぽりと布団をかぶりました。
「ああしまった! これじゃせっかく着替えた意味がねぇ!!」
やっとそこに気づいた狼でしたが、いつ赤ずきんがやってくるかもしれないと思うと、布団から出ることは出来ませんでした。
というよりも、空腹の余り動けませんでした。
ここは赤ずきんがくるまで、体力を温存しておくのが得策でしょう。
どれくらい時間がたったでしょう。
ふいに、トントン、とノックの音がしました。
「おばあちゃーん、わたしだよー」
(…っしゃ! 餌が来た!)
狼は大喜びで、できる限り優しい声を出します。
「うー、こほん…赤ずきんかい? おはいり」
「え? 合言葉は? 今日はなし?」
「あ、あいことば!?」
(なんだってぇ! 聞いてないってオイオイ)
狼は慌てふためきました。
しかしココで答えなければ疑われるのは必定、となれば。
(ええい、ヤケだ!)
「『山』!」
「なぁんだ、簡単。『川』。…それだけぇ?」
(はぁ?〜〜〜まだあるのかよぉ)
「……じゃあ、難しいのを行こうかね。『はじめちょろちょろなかぱっぱ』」
「『赤子泣いてもふた取るな』でしょ? 入るわよ」
赤ずきんの声を聞きながら、狼の心臓はバクバクと脈打っていました。
(なんなんだよ、こいつは…)
そうこうしているうちに、赤ずきんは勝手にドアを開けて入ってきます。
「おばあちゃん…って、何で寝てるの?」
「ぇえっ?」
狼は思わず声が裏返りましたが、そこをぐっとこらえて、
「ち、ちょっと、ねぇ…アハハハ…」
乾いた笑い声を立てます。
「おばあちゃんが寝込むなんて珍しいわね。いつもバカらしいくらいに元気なのに…それより、この部屋どうしたのよ」
赤ずきんは部屋をぐるりと見回しました。
「なんでこんなに散らかってるの?」
狼はまぬけにも、たんすをあさったときに放り出した服をそのままにしておいたのです。
(しまったァァァ!)
ようやく気づいた狼でしたが、ごまかすしかありません。
「探し物しててねぇ…急に気分が悪くなったから、そのままなんだよ…」
「ふーん…ねえ、おばあちゃん、どうしてそんなに大きな耳なの?」
「えっっっ!?」
「帽子からはみ出してるじゃない」
「うそっっ!」
慌てて手をやると、確かに帽子から耳が飛び出しています。
(しまった! …こうなれば…)
「…おまえの声が、よく聞こえるようにさ」
「じゃあ、どうしてそんなに大きな目なの?」
「お前の顔を良く見るためさ」
「じゃあ、どうしてそんなに大きな手なの?」
「お前をうまくつかむためさ…」
「じゃあ、どうしてそんなに大きな口なの…」
「おまえを…パクリと食うためさ!」
狼は布団を跳ね除けるとがばぁっと赤ずきんに襲い掛かりました。
けれど。
「……―――……?」
狼の目の前に、短い筒が突きつけられました。
「な、何の真似だよ」
「あら、乙女のたしなみ、ってやつよ」
それは、最新式のリボルバーでした。
「!!!!!!!!」
哀れな狼は身動きも取れません。
「ここでなにやってんのよ?」
「お、お昼寝を…」
「おばあちゃんは?」
「さ、さぁ…?」
「………」
赤ずきんは無言で狼をにらみつけます。
泣きそうになりながら、狼も見返しました。
低い声で赤ずきんが呟きます。
「撃つぞ、コラ」
――ドギュン!
「言い終わる前に撃ってんじゃねーか!」
顔の真横から立ち上る硝煙の煙に、心臓をバクバクさせながら抗議しますが。
「うっさい! 風穴明けたいのっ!?」
狼は無言でぶんぶん首を振りました。
「もう一回だけ、聞くわ。おばあちゃんどこ行ったの?」
「し、知りませんっ! 俺が来たときにはもういらっしゃいませんでした!!」
狼は冷や汗をだらだら滝のように流しながら答えました。
相手はわずか十歳やそこらの少女だと言うのに、銃を持っているおかげで手も足も出ません。
「ふん」
赤ずきんは鼻で笑うと、リボルバーをもった手はそのままに、空いているもう片方の手で携帯電話を取り出しました。
そしてどこかへ電話をかけている様子です。
「…あ。おばあちゃん? どこいってるのよ、全く。いまどこ? …あー、ちょうどいいわ。帰ってきて。うん。その人も一緒に」
電話を切った赤ずきんは、狼ににたりと笑いかけました。
「な、なんだよ」
「べっつにぃー」
狼に銃を突きつけたまま、にやにやとみつめるその表情が、狼には不気味でたまりませんでした。
どれくらいの時間が経ったでしょうか。
「ただいまぁ」
いきなり、けばけばしい原色のスーツに身を包んだ女が入ってきました。
「留守番ありがとねー」
「なんで私がつく前に出かけちゃうのよ。狼に食われたかと思ったじゃない」
「いやぁごめんねぇ」
けらけらと笑うその女は、どうやら赤ずきんのおばあさんのようです。
おばあさんは、一人の男と一緒でした。
「!!!!!」
赤ずきんに銃を突きつけられたまま、狼は声にならない声で絶叫しました。
「りょ、りょ、りょ、りょ、りょりょりょ……」
どもってしまった狼に銃を突きつけたまま、赤ずきんはその男ににっこりと笑いかけました。
「いらっしゃい、猟師さん」
「やあ、こんにちは、お嬢さん」
帽子を上げて赤ずきんに挨拶している男、彼はまさしく狼の天敵、猟師に違いありません。
「おばあちゃんもさー、付き合ってる人がいるならもっと早く紹介してくれないと」
「したつもりで忘れてたんだよ。そうカリカリしなさんなって」
おばあさんは呑気にお茶の用意などしています。
「それで、ソレはなんだい? 今夜のおかずにするにはちょいと痩せすぎだねぇ」
ソレ、とはもちろん狼のことです。
「ああ、コレ? おばあちゃんと私を食べるつもりだった命知らずな狼。どうしよっかなー」
もう狼には言葉もありません。
ただただだらだらと冷汗を流すだけです。
(あ…なんか目の前が暗くなってきた…)
そのまま、狼の意識は闇の中に落ち込んでいきました。
目が覚めると、狼は檻の中でした。
首には首輪、そこからのびる鎖。
「な、なんだ!?」
「んふ。アンタ、おばあちゃんのペットね」
はっと気付けば、檻の向こうから赤ずきんが見つめています。
「衣食住、あ、衣はいらないか。とりあえず食事と寝場所は確保されてるのよ、ありがたいと思いなさい」
つまり、飼い犬ならぬ『飼い狼』にしようというのでしょう。
「悪い話じゃないだろ」
おばあさんもニヤニヤしながら見ています。
「アンタ、栄養失調でぶっ倒れるぐらい酷い生活してるんだろ? 今までのヤツみたいに太ってたら問答無用で食っちまうんだけどねぇ」
「食べるとこ大して無さそうだし。……なんだか、そこまでやせてると食べるのかわいそうになってくるのよねぇ」
(そんなこといって、太らせたら食っちまうんじゃねえの)
ちらりとそんなことを考えましたが。
「太らせて食べるつもりなんじゃないか、なんて考えるのは止めなさい。アンタみたいなミジメな狼食べるほど飢えてないから」
そこまでキッパリ否定されると、同情されて、命が助かったというのに心の中はなんだか複雑です。
「諦めて、ここで飼われちまいな。……ま、何を言っても逃がすつもりはないけどねぇ」
あははははは、と二人は高笑い。
言うこと聞かなかったらさばいて剥製にするからね、といわれては反抗も出来ません。
なにせおばあさんの彼氏は猟師です。
狼の剥製などお手の物でしょう。
それに、考えてみれば悪い話でもありません。
ここにいれば食事が保証されているのです。
もうひもじい思いをしなくてもいいのです。
「…………宜しくお願いします」
狼は、ついに食欲に屈しました。
こうして、狼は世にも珍しい『飼い狼』として、幸せな一生を送ったのでした。
めでたし、めでたし。